「セーラームーン」がキューピッドーーーコウオジェイ・マグダレナ講師

 

 今日は日本を含む東アジアの美術史がご専門のコウオジェイ先生にお話を伺います。コウオジェイ先生は、ポーランドがご出身ですが、ドイツやアメリカ、日本など世界中で学ばれたり、働かれたりした経験をもっていらっしゃいます。


ーコウオジェイ先生はポーランドのご出身ですが、子供の頃はどんなお子さんだったのでしょうか?

 私は一人っ子なので、両親がなるべく他の子ども達と遊べる環境を与えてくれました。運動は苦手なんですが、今とは違ってインターネットもゲーム機もありませんでしたので、外に出て友だちと自然の中で遊んでいました。ポーランドの中でも比較的田舎の地域に住んでいたので、遊ぶ場所はいくらでもありましたし、安全に遊ぶことができました。

 

ーコウオジェイ先生が日本に興味を持つようになったきっかけは何ですか?

 私が小学生の頃、ポーランドの共産主義が終わり、国営放送だけでなく、民放のテレビ局ができました。そして外国のさまざまな映画や映像作品などが観られるようになったのです。その中に日本のアニメ「セーラームーン」があって、とにかく大好きになりました。「セーラームーン」を通して、日本という国や日本語、日本文化に興味を持つようになりました。


           

         ノースカロライナ州のデューク大学でPH.Dを取得しました。


ー日本語は日本のアニメから学んだのですか?

 その頃、ポーランドで放送されていた「セーラームーン」は吹替でもなく、ポーランド語に翻訳したセリフを一人の男性ナレーターが読むだけの奇妙なものだったのです。そのナレーションの後ろで、オリジナルの日本語音声が小さく聞こえていたのですが、聞こえてくる日本語のサウンドに興味をもち、日本語を学びたいと思うようになりました。本格的に日本語を学び始めたのは、大学に入ってからです。


ーティーンエイジャーの頃は、どのような夢や目標を持っていましたか?

 今言ったように、「セーラームーン」がきっかけで、日本語や日本文化への興味が芽生えて、とにかく日本語が学びたくなりました。高校には日本語のクラスがないので、すぐにでも大学に入って日本語や日本文化を学びたいと思いました。(いくらなんでもそんな飛び級はないのですが・・・笑) 


ー大学では日本語を専攻したのですか?

 大学では、ジャパニーズ・スタディーズを専攻しました。ポーランドの大学では、ジャパニーズ・スタディーズと言っても日本語の学習が中心でした。毎日、日本語の授業があって集中的に学ぶ感じでしたね。その他には日本学入門や日本史などのクラスもありました。その大学で2年学んで、その後ドイツのベルリンにある大学に編入学しました。ドイツの大学はシステムが少し違って、人文・社会学系は2つの専攻をもちます。ジャパニーズ・スタディーズを専攻することは決めていましたが、もう一つを何にしようかと考えた時、東アジアの美術史も面白いかなぁと思って、二つ目の専攻に選びました。東アジアの美術史と言っても日本と韓国と中国のアートが中心です。その時学んだ美術史はとても興味深く、私に次の扉を開けてくれました。

 

ーベルリンの大学入学後はどうしたのですか?

 大学在学中、日本の近代陶芸が専門の研究者のリサーチ・アシスタントをしていました。その研究者は日本の近代陶芸が専門でしたが、日本語はあまり得意ではありませんでした。その研究者が私の日本語の能力を評価してくださって、リサーチ・アシスタントにならないかと声をかけてくださいました。そこでは、研究者のメールを日本語に翻訳したり、インタビューの時は通訳をしたり、図書館での調べ物をしたり、研究旅行のチケットの手配や研究旅行に同行して、日本にも5回ぐらい来ました。来日してさまざまな人と会うこともとても楽しかったです。卒業後も1年間はその研究者のリサーチアシスタントを続けました。その後、博士課程に行くことを決意し、アメリカのノースキャロライナにある大学に入学しました。


ーアメリカの大学では何を専攻したのですか?

 アメリカの大学では美術史を専攻しました。アメリカには4年ほど住んでいました。その後日本に移住し、博士論文を書きながら暮らしていました。結局7年かかってPh.D.を取得し、アメリカでのポスドクを経て、東洋英和女学院大学に着任しました。

 

ーコウオジェイ先生は一人っ子ということですが、ベルリンの大学への留学に始まり、アメリカ、日本への移住と故郷を離れてしまって、ポーランドのご両親は寂しがっていらっしゃるのではないですか?

 新しい仕事に就いたことやコロナの感染拡大も重なって、もう4年も帰国できていないのですが、両親とは毎週スカイプで話をしています。毎回、いつ頃帰ってくるの?と聞かれます(笑)。コロナ前は、長い休暇を使って帰っていたので、こんなに帰国できていないのは初めてです。多分今年の夏には帰れるかなと願っています。

 

 コロナ前は、時間ができると飛行機に飛び乗って、韓国と台湾やアメリカ、ヨーロッパに頻繁に行っていました。飛行機に乗ってあちこちに行くのが当たり前だった生活が、この2年間で変わってしまい、すごく不思議な感じがします。韓国などは大阪に行くような感覚で、コロナ前は年に3〜4回行ってました。

 

ーそんなに頻繁に韓国に行っていたのはなぜですか?

 もちろん、韓国が魅力的な国であることも理由の一つですが、リサーチのために金秉騏キム・ビョンギ)という韓国の画家に会うためです。彼は1916年生まれの105歳、現役のアーティストです。私はオーラルヒストリーのリサーチのために金画伯にインタビューをしています。

 

ー美術史の魅力を教えてください。

 美術そのもの、例えば絵画を分析することももちろん興味深いのですが、絵画からその時代の価値観を知ることができたり、国家間の関係性を分析したり、アートを通して、それぞれの時代におけるジェンダーの意味を考えたりすることが魅力です。私自身は特に、国境を超えて活躍しているアーティストの作品に興味があります。

 


コウオジェイゼミの学生さんと記念撮影


ーこれから大学生になる皆さんと英和の学生にメッセージをお願いします。

 私のゼミは、英語と日本語の両方を使ってコミュニケーションしているのですが、多くの学生が自己紹介などで、「私は英語が得意ではありません。」というような前置きをして自己紹介を始めます。

 日本では謙遜がとても大切なことなのは承知していますが、英語の世界では、もっとポジティブに自信を持って自分を表現する必要があります。英語の世界では、ネガティブな表現を好みませんし、自分の欠点や弱みを伝えることには意味がないのです。むしろ、英語ができるようになりたいから、どうする、というような話をするべきなのです。例えば、「自分の英語力を伸ばすために間違えても話し続けますので、皆さんよろしくお願いします。」というようにね。 

 だから学生には英語を間違えることを怖がらないで欲しいのです。テストの答えはひとつかもしれないけど、コミュニケーションで自分の意見を表現する方法はたくさんあります。正解は一つではありませんし、間違えても何も問題ないのです。トライして、間違えて、学んで、またトライして、この繰り返しで少しずつ習得していけば良いのです。英語を話すときは、英語マインドに切り替えて、演技をするようなつもりでコミュニケーションをして欲しいです。


インタビュー後記

 コウオジェイ先生が日本に興味をもたれたきっかけが、「セーラームーン」だったとは驚きましたが、日本のアニメの影響力の大きさを感じました。日本のアニメは、日本が世界に誇れる文化なのだと改めて感じました。

 また、「英語を怖がらないで」というメッセージも印象に残りました。間違えを恐れることなく、間違えから学ぶ姿勢が大切だと改めて痛感します。がんばりましょう~日本人!!!

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