今、この瞬間は未来につながっている!――竹下裕子教授

 今回の教員インタビューは、英語、国際コミュニケーションを専門とされ、タイの文化に精通されている竹下裕子先生にお話を伺います。


 ー竹下先生の学生時代の思い出や打ち込んだことについて教えてください。

 私はいわゆる帰国子女ですが、私の時代にはそういう名称はなく、「外国帰り」と言われて特殊な扱いを受けていたと思います。英語ができるつもりで日本に帰国して、英語しか好きなことがなかったので文学部に入ったのですが、そこで読むことになった文学作品やその他の文献が難しくて読めない!このショックと挫折感からたくさん勉強しました。アメリカの高校生のおしゃべり程度のレベルの英語では立派な文学は読めない、というショッキングな発見に至ったとわけです。だから悔しくて一生懸命に英語と向き合いました。

 ただし、今の若い人たちには理解できないと思いますが、私の若いころには、女子は大学で一生懸命に勉強する必要なんかない、と考えていた親世代がいました。大学に行きたいのに、行かせてもらえずに短大でがまんしたとか、〇〇大学に進学するとがり勉だと思われてお嫁の貰い手がなくなると言われたとか…今では考えられないことがありました。私の両親もそういうタイプで、「お嬢さん」のイメージが崩れない範囲で大学に行けばよい、お嬢さんの教養を身につければよくて、それ以上の必要はない、と考えていました。

 そういう時に、「文学ショック」を受けてしまった私が勉強するのはなかなか大変でした。普通、親に隠れて遊ぶのでしょうが、私は親に隠れて勉強しました。茶道や華道のお稽古をしているふりをして、実は辞書を引いて単語を覚える、ってなんか変ですよね。目標は、帰国子女なのに文学作品を読めない自分の改造でした。


           

先生が自身の専門に取り組むようになったきっかけを教えてください。

 大学院に行こうと思ったのは大学4年になる前の春休みでした。父親がある時、紙に4社ほどの企業名を書いて、どこに入りたいかと聞いたんです。要するに、コネ入社が可能な会社名を提示したと言うことです。もっと勉強時間が欲しいという気持ちがそもそもあったところに、就職まで親の意のままになりたくないという「反抗心」が加わり、しばらく考えた末に進学させてほしいと申し出ました。説得は大変でしたし、いろいろな条件がつきましたけれど、許してもらえました。

 大学院の入試の時、面接官が進学の目的を聞いたので、「大学の教員になりたいと思っています」と答えました。そういうアドバイスをしてくれた友人がいたので、すっかりその気になっていたのでした。でも、面接官は「高い目標をお持ちですね。でも、達成は男でも大変ですからねえ…」とおっしゃって笑ったんです。同席の4人ほどいた面接官全員もつられて笑いました。合格しましたがかなり傷ついて、悔しくて、絶対に目標を達成すると自分に誓いました。私の動機は常に「悔しさ」ですね。

先生はタイの言語や文化に精通していらっしゃいますが、タイとの出会いやタイの魅力を教えてください。

 高校時代の話に戻りますが、日本に帰国するとき、住んでいたアメリカ東海岸から、東に旅しながら帰ってきました。ロンドン、パリ、フランクフルト、ジュネーブ、ヴェニス(ヴェネツィア)、フローレンス(フィレンツェ)、ここまでがヨーロッパ。そしてアジアに飛んで、最初に降り立ったアジアの国がタイでした。バンコクに3日ほど滞在しましたが、久しぶりのアジアの風、もちろん日本の風とは全然違いましたが、アジア人の顔、これももちろん日本人の顔とは違いましたが、そして不思議な香辛料の味…でもとても懐かしくて、嬉しくて、私はまたこの場所に戻って来たい、と思いながら、次は香港に寄って帰国しました。香港では何も感動しませんでした。

 バンコクに戻るまでに15年くらいかかりました。結婚して、夫と一緒にアメリカの大学院に行って、帰国して、大学教員にもなり、英語も前よりできるようになって、あまりの忙しさにタイのことはすっかり忘れていました。でも、何の前触れもなく、夫のバンコク赴任が決まり、タイが私の人生に戻ってきました。「そうだ、私はあの国にまた行きたかったんだ」、という記憶も鮮明に戻ってきました。

 東洋英和は休職許可をくれなかったので、長期滞在はできず、何度となくタイ国際航空機で飛びました。夫は通算5年滞在したのですが、その間、何度、ドンムアン空港とスワンナプーム空港に降り立ったことか。若かったからできたのですが、右手に長男、左手に次男、スーツケースは足で蹴飛ばしながら移動しました。でも、バンコクに家があってホテルに滞在する必要がなかったことはとても有難かったです。タイ人の友達や研究仲間がどんどん増えて、大使館はだめだと言いましたが、運転手を付けるのが面倒で、自分で車を運転してあちこち調査に行きました。

 スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式のスピーチで、点と点をつなぐ話、点と点は必ず将来つがなって線になると信じることの大切さを説きました。彼のスピーチを聞いた時、私にも確かに起こったことだったと思いました。タイと私の縁は点と点がつながった結果です。父親のアメリカ勤務が終わった時、ハワイで一か月のんびりしてから帰国するという選択肢ではなくて、駆け足でもたくさんの国を娘に見せようと決めた父に感謝しました。最初の「点」はそこでしたから。バンコク勤務を命じられた夫は15年後の「点」でした。

ー先生の研究テーマの面白さ、魅力はどのようなところにありますか?

 私は異文化間コミュニケーションでは特に日タイのコミュニケーションに関心がありますが、そのための言語ツールは日本語かタイ語か英語です。だから英語による国際コミュニケーションやアジア人の英語の研究も専門に含まれます。長年、日本「アジア英語」学会で活動してきましたが、まさにアジア地域は英語の宝庫、世界中の英語の母語話者数をはるかに超えた数の英語使用者がアジアにいるのですから。本来は相手の母語を知らなければコミュニケーションできなかったはずの相手と英語でつながることの面白さや有難さをずっと感じてきました。タイ語を知らなくてもタイ人と分かり合える、中国語を知らなくても中国人と話せる…そういう体験は、英米人と英語で話すのとは比べ物にならないほどの感動をくれます。自動翻訳がどこまで進化するのか知りませんが、機械は感動しないですよね。私の研究活動がフィールドを伴うのは、実際に人と人が出会う場所でないと研究にならないからです。そしていまだに感動し続けています。若い人たちにもそういう感動をたくさん味わってほしいと思います。

ー先生がプライベートで大切にしている時間や趣味はありますか?

 12年間私の肩に乗っていたセキセイインコが亡くなってから、楽しみはタイドラマを観て、タイの音楽を聴くことくらいでしょうか。韓国ドラマに負けない感動的なタイドラマ、Kポップに負けない優れたメロディー、機会があればぜひお楽しみください。

ーこれから大学生になる人や大学生へのメッセージをお願いします。

 A rolling stone gathers no moss.「転がる石に苔は生えない」という英語のことわざがあります。これは二通りに解釈できます。「常に転がってフレッシュにいるべき」、という考え方と、「ちゃんと一か所に腰を据えないと社会的信頼が得られなくて成功しないよ」、という考え方です。どちらを選びますかということではなくて、国や地域や生活様式や価値観が異なると同じことも違う意味を持つ、この「違い」を違和感と思うのではなく、おもしろいね、楽しいね、と考えられる人になってほしいと思います。異文化との接触からたくさん学び取っていただきたいからです。


竹下先生は今年、『国際コミュニケーションマネジメント入門』(竹下裕子・荒川洋平編著、アスク出版)を出版されました。



この本は、国際コミュニケーションマネジメントに求められる、グローバルマインドを備えた人材育成を目的に執筆されました。今後ますます進展する日本社会のグローバル化を担う大学生にとって、国際的なニーズを理解し、そのうえで戦略的視点をもち、行動するための重要な知識となるでしょう。



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