英語を教えるつもりが、日本語を教えることに――足立恭則准教授

 

今日は、国際コミュニケーション学科の足立先生にお話を伺います。足立先生は、日本語教育の専門家でいらっしゃいます。日本社会も多文化化が進み、日本語を母語としない外国人が多く定住するようになり、日本語教育の必要性が高まっています。日本社会における外国人への日本語教育や多文化共生についてもお聞きします。

 

ー足立先生が日本語教育をご専門にされるようになったきっかけを教えていただけますか?

私はもともと英語教師になるのが夢でした。そのためにアメリカの大学で言語学を専攻しました。言語学というのは、人間の言語を科学的に分析する学問です。具体的にいうと、人間の言語の構造や言語と思考の関係、母語や外国語習得の仕組みなど多方面から考えるのが言語学です。英語教師になるなら、外国語教育法などを中心に学ぶ方が近道ですが、当時の私はそのことを知らなくて・・・。結局、言語学の魅力にハマり、行く予定のなかった大学院まで言語学専攻で行くことになりました。


足立先生が育てていらっしゃるキャンパス内のお花の前で

 

足立先生は、大学も大学院もアメリカですよね?

 そうです。大学は、ミネソタ州にあるマカレスターカレッジという比較的小さな大学です。実は、高校の時に1年間、ミネソタ州に留学したんですね。人口500人程度の中西部の片田舎で、まわりは一面麦畑。娯楽と言えばスポーツと釣りくらいしかない典型的な田舎です。日本では英語を得意科目としていた私ですが、現地校の社会科や英語(=国語)の授業はチンプンカンプンで、テスト前は教科書をひたすら丸暗記して何とかしのいだのを覚えています。

 日本に帰国して、日本の大学に一旦は入学したのですが、やはり自分にはアメリカの方が向いていると思って、アメリカの大学に転校しました。それが、マカレスターカレッジです。マカレスターカレッジは、学生数2000人程度のリベラルアーツカレッジです。規模としては英和に似ていますね。世界中から留学生が集まる大学で、国際主義と多文化主義を標榜していました。私が自身の研究分野である言語学と日本語教育に出合ったのもその大学でした。

 キャンパス内の寮で暮らしていたので、大学生活をフルに満喫しました。毎日、カフェテリアや寮の部屋でたわいのない話や哲学談義をしたのが懐かしいです。アメリカの大学生はよく勉強すると言われますが、それは本当です。毎日が受験勉強並みの忙しさですが、自分が選んだ専攻の勉強ですから、つらくても楽しいのです。勉強の意味や目的が分かったのもこの時代ですね。もちろん、時には息抜きもしました。寮でパーティをしたり、ジムで空手をしたり、休暇中に湖畔でキャンプをしたり。ちゃんと大学生らしいこともしていましたよ。

 

ー大学院はどちらですか?

 大学院はオレゴン大学に行きました。修士課程では言語学、博士課程では日本語教育学を学びました。日本語教育学というのは、日本語を母語としない人に対して日本語を教える教育のことです。言語学に似ていますが、人間の言語一般について学ぶというより、日本語に特化して学ぶ点が異なります。また、どのようにしたら効果的に日本語を教えられるかを考える日本語教授法も集中的に学びます。私の大学には日本語のクラスがありましたので、自分の勉強と並行して助手としてアメリカの学生にも日本語を教えていました。

 

ー研究テーマの面白さ、魅力はどのようなところにありますか?

日本語教育の研究分野は、日本語学から日本語教授法、多文化共生まで様々です。私はこれら3つともに興味を持っています。日本語学では、日本語を外国語の一つとして捉えます。たとえば、「私は」と「私が」の違いは何かとか、日本語の文法や発音、語彙などについて詳しく学びます。普段、無意識に苦労なく使っている日本語を外国語として見直すことで多くの発見があります。「へー、日本語ってそういう仕組みだったのね。面白い!」の連続です。

日本語教授法では、日本語の教え方をいちから学びます。「Konichiwa. Domo Arigato.」しか知らない人にどうやって日本語を教えたら良いのか。その方法について学びます。不思議な形のひらがな・カタカナに加えて2000字以上の漢字、基本的な文型・語彙から敬語まで教えるのですから効果的な教授法というのは必須です。

最後に多文化共生ですが、多文化共生とは文字通りさまざまな文化背景をもつ人が同じ社会に生きることを意味します。日本国内における日本語教育の対象者は主に日本に住む外国出身の人たちです。その人たちとどのように仲良く暮らしていくかを考えることは、現在の日本社会にとってとても大切なことです。日本に住む外国人はどんなことに困っているのか。彼らに対する偏見や差別はないか、など、日本人と外国人が互いに気持ちよく暮らせる社会づくりについて考えるのが多文化共生の研究分野です。

 

ー話が少し変わるのですが、先生はプライベートで大切にしている時間や趣味はありますか? 

プライベートは家で過ごす時間が多いですが、運動不足になりがちなので、よく自転車で近所に出かけます。坂の多いエリアをギア無し自転車で走るので結構な運動になります。いつか誘惑に負けて電動自転車を買ってしまいそうですが、健康のためを思って今は我慢しています。時折、サイクリング途中にカフェに立ち寄り、コーヒーを飲みながら読書をすることもあります。読書は好きですね。小説とかではなく、専門書や実用書が多いですけど。

かつては空手もしていました。留学を前に何か日本らしいことを身につけておこうと思い立って始めたのですが、さすがに今は体が悲鳴を上げるようになって、止めてしまいました。若いころはけがなどお構いなしで頑張ってやっていましたが、ほどほどが肝心ですね(笑)。

 

ー最後に、これから大学生になる人や大学生へのメッセージをお願いします。

自分が大学に入るころを思い出すと、あまり偉そうなことは言えませんが、自分の経験から言えることは、まず、大学や専攻は自分の気持ちに素直に選んだ方が良いということです。私ははじめ、偏差値やイメージで日本の大学と専攻を選んだために、満足できず、結局、途中でやめてアメリカの大学に転校することになりました。結果オーライでしたが、遠回りをしました。

多くの高校生や大学生はなぜ大学に行くのか、何のために勉強するのかについてあまり考えずに過ごしている印象があります。私も昔はそうでした。勉強とは、試験で良い点を取ること、課題を終わらせること。その後は、勉強したことを忘れてしまってもあまり気にしない。でも、本当は、試験は目的ではなく、単に自分に勉強を強いるための仕組み、ペースメーカーにすぎません。その題材に興味を持ち、自分から学ぶ人に試験など必要ないのです。

私は学生時代、夏休みなどの長期休暇中、自分が取ってもいないクラスの教科書を買って一人で読んで学んでいました。誰に言われたわけでもなく、試験があるわけでもない。ただ、知りたいから学ぶ。知ってそれを今後に活かしたい。それだけです。そう思って学んだことは試験勉強などしなくても忘れません。優等生のように聞こえてしまいますが、それが本来の勉強の姿だと思っています。高校生や大学生は日々の試験や課題に追われ、そのことをどうしても忘れがちです。自分が何のためにその題材を学んでいるのかを思い出し、試験のためではなく、自分の学びのために勉強をしてほしい。大学ではそうした学び方ができる環境が整っています。ぜひ大学での四年間、楽しく学んでもらいたいと願っています。


  「持続可能な社会」の実現を目指す目標(SDGs)を実践的に考えることを目的に、東洋英和女学院大学の先生方が中心になって書かれた『社会科学から見るSDGs』の第1章で、足立先生は、「外国にルーツをもつ児童生徒への教育」について書かれています。グローバル化が進む日本で、外国にルーツをもつ子どもたちが増えているにもかかわらず、日本の教育現場では、いまだに彼ら・彼女らへの教育支援が十分ではないことを指摘しています。そして、SDGsの目標に照らして、多文化共生社会の実現に必要な支援や社会の在り方について説明しています。







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