好きを追求した先に新たな世界が広がる――山本直子講師

今日は国際コミュニケーション学科の山本直子先生にお話を伺います。山本先生は、日本に暮らす外国人住民と地域の多文化共生施策について研究をされています。



―山本先生は、どのような学生時代を過ごされたのですか。 

大学時代はスペインの地域研究を専攻していました。3年生の時には、スペインへの1年間の留学を経験し、スペイン語という言葉や、スペインという国の魅力にどっぷり浸かった、本当に楽しい大学生活でした。

学生時代はスペインについて学ばれていたのですね。スペインってどんな国ですか?

道端で話していた人たちが突然フラメンコを踊り出したり、街中の巨大なスクリーンの周りで沢山の人がサッカーに熱狂していたり、本当に明るくて素敵な国です。私が住んでいたのは、スペイン南部のバレンシア州アリカンテという海辺の街でしたので、スペインの中でも特に陽気な雰囲気があったように思います。音楽や建築を大切にしていたり、芸術に対する人々の感度がとても高い国だな、とも感じていました。そして、食べ物がとってもおいしい!その一方で、貧しい移民の人々を見かけることも多く、歴然とした貧富の差に強い衝撃を受けたことを覚えています。私の移民に対する関心は、スペインへの留学をきっかけに深まっていったのだと思います。

―先生のご専門は、移民研究や多文化共生論ですが、スペイン語を学んだ学生時代から、現在のご専門には、どのようにつながっていったのでしょうか。

当時は、研究者になるということは少しも考えておらず、大学を卒業後は、外国と関係する仕事をしたいという希望から、大手旅行会社に就職しました。とても忙しい毎日を過ごしていましたが、日本語教師の資格を持っていたので、仕事が休みの日には、地域の日本語教室で日本語を教えるボランティアを行っていました。 

私が暮らしていた愛知県は、とても外国人が多い地域で、当時急増していた外国人に日本語を教える教室があちこちに開設されていたんです。大学時代にスペイン語と並行して勉強していた日本語教授法の授業がとても役立ちました。この日本語教室で様々な境遇の外国籍の方々と出会い、日本社会は外国籍の人々にとって住みやすい社会とはなっていないのではないだろうか、という疑問が生まれたんです。それまで、外国と関係した仕事がしたい、という思いでいたのですが、日本国内に数多く暮らす外国人の方々に目が向くようになっていったんです。それで、一念発起して旅行会社を辞めて、公務員として、外国人集住地域の市役所に勤務しました。外国籍住民がとても多い地域の市役所で、直接的に外国籍の人々の役にたつ仕事ができている、という充実感を日々感じながら仕事をしていました。

でも、夫の仕事の都合で、東京に引っ越すことになってしまったんです。とても悩みましたが、どうせ仕事を辞めなくてはならないのであれば、せっかくならば多文化共生について学び直そうと思い、大学院に行くことにしました。子育て期間中にキャリアアップにつながることができればいいな、という軽い気持ちで大学院という世界に飛び込んでみたのです。

―一度社会人を経験された後に大学院に進学されたのですね。

はい。大学院には、様々な専攻がありますが、日本にいる外国人が現代社会で置かれている状況や、マジョリティである日本人と外国人との関係性などを理解するためには、調査やデータをふまえて社会の構造や実態を解明しようとする学問である社会学を勉強することが、最も近道だと考えました。でも、大学生の頃にはスペイン語浸けの毎日を送っていたので、社会学という学問については、実は大学院に入るまでほとんど知識がなかったんです。ですので、最初は周りの学生が何やら難しい概念について話している内容が理解できず苦労しましたが、自分よりも下の世代の若い学生に混じって一生懸命勉強しました。いつからでも新しいことに挑戦することは可能なのだということを実感しました。

とはいえ、3人の子どもを育てながらの大学院生活は、本当に大変でした。大学院時代には、外国人住民がとても多く暮らすことで有名な団地での住み込みでの調査なども行いましたが、よちよち歩きの子どもを連れて色々な場所を訪れ、調査を行うことは、想像していた以上に大変なことでした。上手くいかないことだらけで落ち込むことも多かったのですが、研究の中で出会った先生方や研究仲間、調査で出会った方々に助けられてなんとかやっていくことができました。また、調査の中では、外国籍の方々にこれまでの歩んでこられた人生のお話を伺うことも多くありますが、外国から見知らぬ土地である日本に移住して力強く生きてこられた方々のお話からは、本当に多くのことを学ばせていただきました。



―先生は、「外国につながる子どもの貧困」を研究されているということですが、そもそも、「外国につながる子ども」とは、どういう子たちなのですか。

現在、日本には、約276万人の外国籍の方々が暮らしています。そのうち外国籍の子どもも相当数含まれます。また、両親のうちのどちらか一方のみが外国籍である場合や、日本国籍であっても長い間外国で暮らしていた場合など、日本国籍を持っていても様々な形で外国を背景に持つ子どももとてもたくさんいて、今後も増え続けていくと言われています。こうした子どもたちのことを「外国につながる子ども」と呼ぶことがあります。

しかしながら、日本社会が、そういった子どもたちにとって、自分の持つ個性や可能性を十分に発揮できる環境となっているのかというと、残念ながら必ずしもそうとはいえない状況があると思います。 彼/彼女らが日本社会で直面する問題や課題とはどのようなものであり、それが社会のどのような構造によって引き起こされているのかを解明することによって、必要とされる支援や施策が浮かび上がってくると思います。

―先生の授業ではどのようなことを学ぶことができますか。

私が担当する「国際社会学」では、人の移動という観点から社会を眺めてみる、ということを行っています。人は、古くから移動をしてきたのですが、それによって移住元・移住先両方の社会にはどのような影響があったのか。そして、そのような影響は、現代社会の私たちとどのようにつながっているのか、ということを様々な文献、映像、映画やドキュメンタリー映像など、多様なコンテンツを通して学んでいきます。また、「多文化社会論」では、日本社会の多文化的な状況を、統計資料なども見ながら具体的に学んでいきます。

 2年生のゼミの学生と一緒に。

―ありがとうございました。最後に、東洋英和女学院大学に通う学生たちにメッセージをお願います。

学生時代は、好きなことに熱中してください。学問の分野や既存の枠組みに捉われず、どんなことであっても、興味のあることをとことん追いかけてみる。そうすると、いつのまにか、それ以外のことへの興味にもつながり、自ずと自分の世界が拡がりを持っていくと思います。貴重な4年間を有意義に過ごしてください!


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