苦労した経験は人生の宝物―――高橋基治教授

 今日は、国際社会学科で英語教育をご専門にされている高橋先生にお話を伺います。高橋先生は、英語や英会話の上達にユニークなアプローチを提案され、たくさんの著書を出版していらっしゃいます。 

―高橋先生が英語に興味をもたれたのはどのようなことがきっかけだったのでしょうか?

 中学校1年生の時に学校で「小さな恋のメロディ」という映画を観に行ったのですが、その時、外国にはこんな世界があるのだと思って、将来こういう国に行ってみたいなと思ったんですよね。それとビートルズの音楽も好きで、英語を好きになるきっかけになりましたね。今でも活躍されていますが、小林克也さんという伝説のD Jに憧れて、将来は英語のD Jになりたいと思っていたんですよ。 

―DJに憧れていらっしゃったということですが、先生が英語を教えるという路線に方向転換されたきっかけはどんなことだったのでしょうか? 

 大学生の頃、塾で英語を教えるアルバイトをしたり、英会話学校で教えたりして、英語を教えるのも楽しいなと思ったんですよね。 

―やはりその頃から英語が得意だったのですね? 

 そうでもなくて、嫌いではない程度だったんです。ただ、中学の時にたまたま試験で良い点を取り、周りの人が「すごいね」って言ってくれたり、授業中に音読したら先生が「発音いいね」って言ってくれたんですよ。そういう小さな成功体験が積み重なると完全なる勘違い、「僕って英語ができるんだ」と勝手に思い込み、それで英語がどんどん好きになっていったんですよね。 

―学生時代の思い出や打ち込んだことなど教えてください。

 大学生の時、米国西海岸ホームステイツアーの引率添乗員のアルバイトをしていました。ほとんど毎回と言っていいほどトラブルや事件が起こり、ホームスティ先での盗難事件から、ツアー中での人種差別発言、さらにはツアーの自由行動中に参加者の1人が失踪してしまうという非常事態も経験しました。大変だった一方で、さまざまな階層の家庭と知り合い、リアルな現地の生活を体験することができて楽しいアルバイトでもありました。また、現地で頼る人もほとんどなく、言葉の面ももちろん、日本の常識も通用しないなかで、直面したトラブルにどう対応するか、解決するかを繰り返しているうちに問題解決能力がついたと思います。 

―大学卒業後は一般企業に就職されたと聞いていますが、どのようなお仕事をされていたのでしょうか? 

 大手百貨店に就職しました。幸運にも貿易事業部という花形の部署に配属され、海外市場開拓の担当に抜擢されたんです。入社2年目の先輩と脱酸素剤を海外市場に売り込むという命を受けて、入社2か月目でいきなりアメリカはシカゴで開催された包材展に出張しました。

 実は脱酸素剤は日本の小さな町工場の社長が発明したものなんですね。百貨店が代理店となってそれを海外市場に売り込むという計画でした。商談や交渉の前にまず扱う商材の脱酸素剤を勉強するために先輩と土日もその社長のもとに通い、色々教えてもらいました。

 そしていよいよ先輩と社長と私の3人でアメリカに乗り込んだのですが、結果は百戦錬磨の世界中から集まってくるビジネスパーソンたちにコテンパンにやられ、何の成果も上げられず成果ゼロで帰国することになりました。ただただ国際ビジネスの厳しさを痛感させられました。

 休日返上で指導してくれたうえ、かなりご高齢なのにアメリカの商談にまで一緒に同行してくれた社長に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。社運をかけてこの出張に臨んでいることも知っていましたから。でもその社長が帰国前夜、飲みに行こうと誘ってくれて、「申し訳ない」という私たちに激怒するのかと思いきや「いいんだよ、君らよく頑張った」「さあ、飲みなさい」と言って、どんどんお酒を注いでくれてベロンベロンになるまで飲まされました。

 短い言葉の中に優しさが滲み出ていて本当に身に染みました。お酒が涙でしょっぱい味がしたことは今でも記憶に残っています。その時は、本当に悔しかったし情けなかったし格好悪かったけど、振り返ってみるといい経験だったなと思います。
 
 その後、半年ほど働いたのち、アメリカの大学院に留学することを決意して会社を辞めることにするのですが、同じ部署で一緒にシカゴに出張し頑張ってきた先輩にそのことを伝えた時、先輩が一瞬寂しそうな表情をしたことを今でも覚えています。でも最終的には、「頑張れ」と応援してくれて、送別会の日の最後、終電まじかでたくさんの人が足早に駅に向かう中、駅前にあった噴水に飛び込んで「フレー、フレー」と応援のエールを送ってくれたのです。人目も憚らず大声で・・・泣けてきました。本当にありがたくて、励まされましたし、絶対留学は成功させないといけないな、と強く心に誓いました。

 企業での勤務はとても短い期間でしたが、貴重な経験をさせてもらったし、本当に素晴らしい人たちに出会えました。その後、その先輩は社内留学制度を使いアメリカの大学院でMBAを取得し、現在、誰もが知る日本の世界的有名ブランドの企業でトップマネジメントについています。その先輩には、東洋英和でも企業説明会をやってもらったこともあるんですよ。実際、新卒で採用された卒業生もいます。

 
 
 


サンフランシスコの大学院に留学中

―アメリカの大学院では、何を学ばれたのですか? 

 アメリカの大学院に留学した理由は、英語教授法(TESOL)の学位を取得するためです。ロータリー財団から奨学金をもらって行ったので、通常は2年かかりますが、何としても1年で学位を取りたかったのです。いつも授業では先生のすぐ目の前の席に座り真剣でしたね。クラスメートからはteacher’s petと言ってからかわれましたが(笑)。日本企業で鍛えた営業接待力と人脈とガッツで何とか1年で無事学位を取得して帰国しました。 


―話は変わるのですが、最近出版されたご著書、“中学英語を学び直して話せるようになる”という英会話の学習本ですが、コンセプトや使い方など少し説明していただけますか?

 

最近出版された英会話の学習本
 
 はい。英和で教えている2人の先生と一緒に作りました。一言でいえば、中学英語の「やり直し」です。「わかる」を「できる」に変えるというコンセプトのもと、これが言いたかったという話者目線の使える例文(「手の消毒液はありますか?」など)や、英語ネィテイヴが文法(例えばwillとbe going toなど)を使う時の気持ちをわかりやすく解説しました。この本を使っての著者の一人の先生によるレッスンも動画で観られるんですよ。

―最後にこれから大学生になる高校生や大学生にメッセージをお願いします。 

 今はコロナ禍で簡単ではありませんが、一度は日本の外に出てほしいですね。そうするといかに自分のものの見方が狭かったかを感じることができます。「こういうもんだ」「これが常識だ」と思っていたことが全然そうじゃない。唯一の正解なんてないんだということを実感できるはずです。
 
 もし海外に行けないのであれば、国内で行ったことがないところに行ってみるとか、住んだことのない地域に住んでみるとか、未知との出会いを積極的に求めてほしいですね。そして、「自分の能力なんてこんなものだ」と勝手に自分に枠をはめてしまわないで、思い切って自分のリミッターを外してみてください。新たな自分に出会えるかもしれませんよ。

 最後に、若い時はいくつかの選択肢があったら、あえて難しいものを選んでみては。その時は苦労をするかもしれないけど、その苦労がのちに何倍にもなって利子がついて自分に返ってくるからです。Good luck!

高橋先生からのメッセージ
Like a bird has wings, everyone has their own special gift.
You just need to learn how to fly. ― 
鳥に翼があるように、誰もが特別な贈り物を持っている。
あとはその使い方を見つければいいだけだよ。

高橋先生は、3月21日のオープンキャンパスで体験授業を行います。こちら

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